昭和46年04月15日 朝の御理解
御理解 第7節
「天地金乃神は昔からある神ぞ、途中からできた神でなし。天地ははやることなし。はやることなければ終わりもなし。天地日月の心になること肝要なり。信心はせんでもおかげはやってある。」
成程天地は流行ることもなし、流行ることもないから終わりもない。確かにそうだろうと思いますね。けれども人間の世界には流行がある。天地には流行ることも終わることもないのですけども、人間の世界にはやはり流行ることがある。またためにそれが終わることもある。分かりやすく言うなら、一つの服装でも、その時その時の流行というものがあります。ですから、それに遅れますと流行遅れだということになります。
不思議なもので、今年は妙なものが流行ってきたなと思いよるうちに、妙なものと思っているのがやはりそれでなければおかしいようになるのですから、流行というものは恐ろしいものです。去年あたりまでは、女の方達が、服装でも非常に膝の上までもしまうスカートなんかでも短いものが流行りましたね。初めの間はおかしかったですね。極端な服装が流行るもんだ、と。見苦しいと。
女の膝の上までも出してと思いよったけれど、最近少し長いようなのを見たら、格好がテレッと見えてから、かえっておかしい。短くなからなければおかしい。毎月ある方が、「ミセス」という婦人雑誌なんですけども、家内に毎月お供えなさっている方があります。中々良い本です。それを見せて頂いとりましたら、スカートの長いのを皆はいとりますね。それが今年の流行なのです。
段々段々長いのが短くなって、短いのが今度はだんだんだんだん長くなってというのでなくて、今度は一ぺんに長うなっておる。とにかくテレッとしてるように見えんでもないけれども、も一時しよったら、今度は短いのをはいとったらおかしいという時代が来るでしょうし、長いのがやはりいいなと思うようになるでしょう。それが流行なんです。不思議なもんです。
天地にはやりはないのだけれど、人間にはある。人間の世界にははやりがある。これはもう全ての点においてそうです。ヘアスタイルでもそうでしょうが、私どもが知っておる限りでも。ずいぶん、大正、昭和、ずいぶん変わって参りました。大正時代の髪ども結うとればおかしいぐらいにあるのですけれども、次から次と、言わば人間そのものは変わらないにしましても、身に付けるものなど全ての点に変わってまいります。
そこで私は思うのですけど、流行から流行を追うような生活、そういう生活とはね、花は咲いても実は実らんと思うね。私共は矢張り花も咲かせたい。実もならせたい所謂花も実もある人生でありたいわけです。世の中には様々な生き方があります。とくに信心世界でもです、お父さんの時はあれだけ熱心な信心をしておられたけれども、パッとしたこともなかったが、息子さんの時代になったら、それこそ一時に花が咲いたように、子供さんの時代になって華やかなおかげを頂いているという人もあります。
所謂お父さんが一生懸命徳積みをなさって、そしてその徳を子供に残しとくというような生き方。これは福岡での修行中の時分に、福岡の教会に毎朝、時間が同じ頃にお参りをされる。まあ二十何年前ですからね、軍の払い下げの外套、カーキ色の軍の外套を引っ被って、毎日参って見えるお爺さんがあった。いつも私と会うと色々と信心話を聞かしてもらう。どこの方か知らなかった。
段々お話ししているうちに、その方が福岡の渕上呉服店のご主人であることが分かった。ああいう大きな呉服屋さんのお父さんが、本当に変わった方だな、と思っておりました。息子さんが言うならば出来が悪くて、そのために一生懸命に信心をして、その息子が勘当同然になっておりましたそうですね。それが今の渕上の社長さんです。久留米のマルエーのデパートのね、今支店だけでも全国にあるそうですね。
しかもそれが繁盛しておる。お父さんの時には、もちろん呉服屋ですから、けれどもそれはお父さん自身が、それこそお参りをされるのに、軍服の外套を引っ被って歩いて参るというような、言わば始末倹約の生活をしておられる。それは実に徹底した始末倹約をされておったらしい。ところがその勘当同様であった息子さんが、急に華やかな商業界でも大きくクローズアップされなさるような立場になられた。
それこそ一ぺんに花が咲いたと思われるくらいに繁昌をしとられる。こういう生き方もあるですね。かと思うと、お父さんの時には、それこそ言うなら花のある人生であったのにもかかわらず、あれ程の繁盛、あれ程のおかげを受けておられた人が、子供の時には細り、孫の代になったらなくなるというたようなこともありますね。そこで私は、どうであらねばならないか。
私は言うて私の性格から言うと、こうでありたいと願っておるのがこの世で花を咲かせたい、実を収穫したいとこう言うこの世で、花もあれば実もあるというおかげを頂きたい。その為に私は皆さんの場合はどうでしょうか。もう私の時代には一生懸命修行してよい、子供たちが幸せしてくれたら良いと、まあ切実な親心からそういうふうなものが出てくるかも知れませんけど、私は私自身も矢張りおかげを頂かねばならんと。
私自身の上にも矢張り花がなければいけない。しかもその花は実りにつながっとらなければならないというのが私の持論であります。生き方なんです。子供のために徳を積んでおこうそして、自分の生活はもう始末倹約した。まあこれは始末倹約しただけでなく、全ての点に、言わば春を待たずに一生を終わってしまうという生き方でなくてです、花もある実もあるという人生でありたい。
そこから本当の有り難いことだなと、勿体ない事だなという生活。と言うて華やかなおかげを頂いても、それが子にも孫にも伝わらない様な事であってはならないと思い、そこに焦点を置いて努力もするわけであります。そこでね私はそういう生活という、そういうおかげを頂くという、私は皆さんにもそれを思う。皆さんの時代に花の咲く、花の生活をして頂きたい。
しかもそれが実りになって、子どもにも残る程しの、子孫にも残るほどのおかげにして頂きたいとこれは願います。そこでね私は今日思わして貰うのは、天地になるほどはやることもなければ終わりもないが、人間の世界にはやりがある。それではやりから流行を追って行く様な生活には、花はあっても実りがないという。と言うて服装一つでも流行遅れのものばかり着たり身に着けたりしとる、そういうのもどうもけちくさい。私共の性格、私の性格から行くと、そういう生活は余り望まないじゃなくて嫌だね。
そこでです、流行を追うのでなくて、流行の方がついてくるという生活を一つ身に付けたいとこう思う。流行から流行を追うような生活には、花はあっても実りにならないということです。これは決して人間の流行というのは、例えばねこれは服装なら服装といったようなことだけじゃ決してないのですから、どうぞその積りで頂いてもらいたい。言うならば、ああ勿体無いことだなと思われる生活、有り難いと思われる生活。
痛い痛いけれどもやはり、ここ辛抱し貫いてというのではなくて、ま言うならば痛さもなければ痒さもない、ただ有り難いもったいないという生活。それにはです「信心はせんでもおかげはやってある」と仰せられる。これは信心はせんでも、だから信心があっておる、皆が頂いとる訳ですけども、そのおかげをおかげとして、本当に受けられる、また感じられる生活。それを信心がなかったり、信心が薄かったりしたら。
おかげをおかげと思わんで、ただ流行を追うように、ただおかげばかり追い求めて、ようおかげにも追い着き切らんという生活、そう言う事になる。流行を追うというのではなくて、流行が身に付いてくる、はやりが身に付いてくる。それには「信心はせんでもおかげはやってある」と仰せられる。その信心が分からして頂くと言う事は、一口に言うと、おかげがおかげとして分かると言う事なんです。
信心を進めて行くと言う事は、信心が分かると言う事は。しかもそれはです「あれもおかげであった、これもおかげであった」と分かってくる。そこにはだからお礼を申し上げる生活だけしかないわけです。有り難いなあ、もったいないなあと言う生活。そういう生活に入らない限りです、流行が身に付いてくるようなおかげになってこないと思う。おかげからおかげを追う信心。
流行から流行を追うて行くと言う様な生活には、よしそれを頂き留めたにしても、それは花ばかりの信心。そういうのをあの人は、ふが良かと言うのじゃないでしょうかね。ふが良いから儲け出したというのじゃなくてです、もう当然のこととして、流行が私を追ってくる、流行が私の方についてくる。それにはおかげがおかげとして分かる信心。そこで、ここで分かったような分からんような気がするでしょう。
おかげをおかげと分かるということ。そしてそこで、それを実感として分からして頂くことのために、天地日月の心になること肝要なりと仰せられる、ここのところが大事になってくるわけなんです。天地日月の心になること肝要である。今、私の洗面所に、山吹の花が一輪挿してある。皆さんもご承知のように、山吹という花には、花は見事に黄金?色の花を付けますね。けれども実がない。
太田道灌の故事にあんな詠がありますね。ある時に猟に行った。家来たちを連れて。急の俄雨で、ある山小屋に寄って蓑笠の貸して貰う事を頼んだ。所が一人娘が出て参りまして、お盆の上に一枝の山吹の花を載せて、それを道灌に差し出した。道灌はその意味が分からない。蓑を貸してくれ笠を貸してくれと言っておるのに、あるともないとも言わずに、ただ山吹の花を差し出して、恥ずかしそうにまた家に入っていった。
解せないだから腹を立てて家に帰って、皆と一緒に酒盛りをする時に、今日のあの娘は妙な娘であったね。笠を貸せというのに、山吹の花どん持ってきてと言う様な事になったらしい。その時に家来の一人が進み出てから、道灌に申しましたことが、昔の詠にこういう詠があります、と。[七重八重花は咲けども山吹の 実の一つだに無きぞ悲しき]。その詠を、こういう詠があります。
恐らくこの娘の家には、あなたが蓑笠を所望されたけれども、なかったのでしょう。けども娘心としては、笠がありません、蓑がないと言うのは恥ずかしい。そこで身形立派な大将に分かってもらおうと思って、山吹の花を差し出したのじゃないでしょうか。蓑笠を、実の一つだになきぞ悲しきという、そこに引っ掛けてのまあ言うなら、上品な洒落だったというわけなんです。
それを聞いた時に、道灌が大いに恥入ったというのです。それから、詠の勉強だけじゃない、様々な勉強を身に付けることを致しました。そして所謂文武両道と言われる程しの立派な武人になった。江戸城の築城は太田道灌の設計だと言われておりますね。そういう学問までも身に付けた。そこでですね、私どもが天地が私どもにおかげを下さろうとする前にです、様々と私どもの前に、それこそ山吹の花ではないけれども、差し出されているような場合があろうかと思う。
それをこちらが信心がないので、それをそれと悟りきらん。それをそれとしての天地の心が分からない。所から恥ずかしい事になるのじゃないかと思うのです。言うなら神様が謎をかけござる。けれどもその謎を解き切らずにどうしてじゃろうか、どうしてじゃろうかと思う難儀がそうです。「自分の家だけがどうしてこんな難儀が続くであろうか」、「どうして自分は此の位の事で、こんな難儀をしなけりゃならんであろうか」と言うて、難儀から解放されたいから。
解放させて頂きたいと言う事だけの願いで終始する信心ではいけない。神様が差し出して下さる所の言うならば、山吹の花を見て是では実の一つだに無きぞ悲しきと言う事になる。そこで神様は、私に何を求め給うか、何を分かれと思し召しておられるかと言う所を究明して行くというところが、信心を究明して行くと言う所であれば、言わば悟りと言う事にもなってくると思うのです。
ああこの事じゃろう、この事じゃったと分からせて貰う。そしてそれが改まった事になってくる。所謂改まった生活と言う事になって来る。その改まった生活が、所謂日月の心なのだ。それは色々な生き方があります。もう自分が一生懸命修行して、徳を残して子供に残しておこうという生き方もありますね。ただ今渕上呉服店の例を申しましたね。そういう例も確かにある。かと言うて私どもこれは多く知っとります。
お父さんの時代は華やかなおかげを受けられたが、子供の代になり孫の代になって、細うなり消えてしまうというような事実も知っておる。だから山吹のように、花ばかりでは悲しいことである。それは流行から流行を追うような生き方。それには花は咲いても実は実らない。ただ実が実ると言うても、自分の時代に実が実らないなんて、私はどうもつまらんとこう思う。
これは私は人間が少しせっかちに出来ておるから、そうなんかしれませんけれども、私は思うこの世で花を咲かせたい実も収穫したい。しかもその実というのが、子供にも残しておけ、子孫にも残しておけ、あの世にも持って行けるというのでありますから、私はそこんところのおかげを受けなければいけんと。だから是は私の生き方合楽の生き方ということになるかも知れません。少し欲張っておりますようですけどね。
けどそういうおかげの頂けるのが、私は金光大神の道だと思うとります。それにはです、私共が流行を追うような生活ではなくて、流行の方がこちらについて来るという生き方にならねばならんということ。その事がです、私は流行が身に付いて行く事は花が咲く事でしょう。追うのでなくて身に付いてくると言う事が、そのままそれは実を収穫する事に継ながると思うのです。そこでです日月の心になる事肝要である。
それもやはり日月の心日月の心と言うてもです、何かそこに翻然としたものを悟らない限り、中々日月の心になり得ない。なれない精進されない。例えば私が終戦という大きなお国の節であり、私どもの大きな節でもある敗戦終戦と言う事になって、私ども引き揚げて帰ってくる。裸一貫で帰って来なけりゃならん時に悟った事が、どう言う事かというと、今までの生き方が間違っておったんだ、信心が間違っておったんだ。
お国が負けたから私どんまで惨めだと、お国のせいにしてはいない。それを自分の信心のせいにさせて頂いて、そこからいわば改まった、もうそれこそ回れ右をする程の信心に変わらせて頂いたと言う事。そう言う所に私どもが直面した時にです、私は本気で天地日月の心になること肝要であるという信心を身に付けてきたように思うのです。所謂自分で出来るだけの実意を尽くさして貰い、神様に向う心も一心なら、自分の心の上に改まらしてもらうことにも一心。
神様にだけは一心に向けて、自分に改まろうとする事に一心にならないなんて信心は、それはおかげを受けても花ばかりの信心だと思う。自分の心に一心が向けられる時、当然自ずと、実意丁寧神信心になってくるのです。所謂日月の心が身に付いてくるのです。そのために、例えば食べる資格がない自分を気付かせてもろうた。着る資格のない私であることが分かった。
そこから食べまい着るまいと言った様なおかげを頂かしてもろうて、それだけでも尚且つ足りない、神様に向かう一心も一心なら、自分の心の上に改まっていくということにも一心。そこから今までの大坪総一郎とは違った大坪総一郎が誕生した。そこからです、私は現在、流行を追うのではない、流行の方が私を追い掛けて来てくれる様なおかげを受けておるというふうに思うのです。
確かに天地にははやりがない、けれども人間の世界には流行がある。そこでそこに流行を追うて行くような信心から、その流行がこちらの身に付いてくる程しの信心をさして頂くということは、信心はせんでもおかげはやってあるといわれる、おかげはおかげと感じさせてもろうて、いわゆる感謝・感激・感動ということになってくる。これは今度御本部参拝で、何回も聞かせて頂いた言葉ですね。
感謝しかも感激しかもそれが感動になってくる。じっとしてはおられないというものです。そこからおかげが分かる。言わば、今までおかげをおかげと気付いていなかった事の中にも、あれもおかげであった、是もおかげであったと分からせて貰う所から、有り難い勿体ないという信心生活ができるのである。その人の生き方、その人の信心の個性というものがある。けれども合楽ではただ今申しますように、この世で花を咲かせたいだけでない、この世で実りも採りたい収穫したい。
しかもあの世にも持って行け、この世にも残しておける程のものにしたい。それを私は成り行きを大事にするというふうにも申しております。自分で求めて例えば物一つでも買おうとか、求めようとかという心を起こさない。ないならないでそこの所を大事にしていくという生き方。そして与えられるものだけは、是はちっとは自分の身には贅沢と思われるようなものでも、有り難く頂いて行こうという受け方を。
段々身に付けてきたわけであります。そこでその私の内容である所の信心を申しますなら、いわゆる「梅の香りを桜に持たせ しだれ柳に咲かせたい」と言う事になるのじゃないでしょうか。それこそ柳、桜と扱き混ぜてと言う様なおかげになってきておる。その根底になるものは、梅の花のような言うならば、それこそ泣く泣く辛抱しいしいと言う所も、私なりに辛抱強く頑張らせて頂いた。
馬鹿程に柳のように素直さにならせて頂いてきた。そこから桜の花のような華やかなと思われる程のおかげが合楽に現われてきたと言う事になるのじゃないでしょうか。柳の信心、梅の信心によって徳を受けるなら、その徳がもう私の一生一代の上に、桜の様な花にもなってくる。愈々是からもそういうおかげが頂けることを私は思います。しかもこれならばです、子供にも孫にも子孫にも残しておける、この生き方なら。
ただ流行を追いまくって華やかになっておるというのじゃないから。私どもの信心の修行の内容として、今こそ柳の信心をしなければならない時だなと。今こそ梅の花のいわゆる梅の信心をしなければならぬ時だな、いやさせて頂いておる時だなと思わして頂いて、修行を全うしていきたい。私どもの上に、神様は絶えず、何かを、よりおかげを下さろうとすることのために求め給う。
それがいつも山吹の花を一枝出されておるようなものを、そこから感じ取らせて頂いて、ああ神様は何を私に求めておいでられるかと言う所を分からせて頂くことを悟りと申しました。悟らせて頂く。そこから翻然として、日月の心に取り組まして頂く、本当の信心が出来る。いわゆる神様の心を心として、神様のお心に応えていく生活が出来る。そこから、花もあるなら実もまたあるというおかげを頂いていきたいと思うです。
どうぞ。